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2008年2月

テレビってメディア。

インターネットの掲示板への書き込みが時に炎上するのは、根拠もあいまいな一方的な攻撃的な発言をしても、実社会での自分が攻撃されることがないから、言いっぱなしで逃げられるからでしょう。

純粋に情報発信したい人の貴重な生の声がたくさんのっている反面、どうしようもない無責任発言もたくさんあるのがインターネットという媒体です。たとえば、クルマのパーツのインプレッションだったり、サーキット走行の感想だったり、山登りの行程の記録だったりは、僕はインターネットの個人のHPやブログで調べます。これは雑誌書籍では聞けないホントに聞きたい内容が含まれていると思うからです。一方で人をだまそうという人や、ただ金儲けをしようとしている人もネット上にはうじゃうじゃいますね。

この玉石混交のネットの情報の世界で、「信ずに足る・能わず」を判断する基準をどこにおきますか。生であって人となりを判断することができないので、文章から感じられるその人の『責任感』で量るしかないと僕は思います。責任感を感じられない人の言葉はどんなにたくみであっても信じられないでしょう?たとえば「それってどういう根拠でそういってるの?」、「不必要な誇張じゃない?」、「論理、飛躍しすぎじゃない?」とか、「感情的すぎない?」とか、「他者への理解がない人だなぁ」と、感じてしまうと、ああ、この人の言葉は、読むに値しないなと考えてしまいます。

翻って日本のテレビのニュース。

いみじくも、報道ステーションで、都の設立した銀行の業績が芳しくなく、都が追加の資本投入(税金)をすることについて報じていたニュースで、民主党もこの都の銀行設立に賛同していたことに触れ、「メディアの責任として追跡して報じていきます」と宣言をしていました。

それはそれで歓迎しますが、輸入ギョーザの農薬の件ってどうなりましたか?もう世間の耳目を集めるに足りない事件だから放置ですか?

前述のメディアとして信じるに足るか足らないか、、という観点で見ると日本のニュース番組って信じるに足りない、といわれても致し方ないと思うのです。1週間同じことを散々わめき散らして、わめっきぱなしですか?天災も、悲惨な事故も、おぞましい冷酷な犯罪も、1ヶ月したらもう続報なしですか?この人たちの社会的な責務ってなんなんでしょうね。(と、日本に帰国した直後の15歳の僕が感じていたことと同じことを最近よく感じます。)

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サンゴリアスとは。

サントリーの「サン」と巨人の意味の「ゴリアス」(ラピュタ的にはゴリアテの名で知られている言葉)からの造語らしいです。

昨日は、サントリー対三洋の試合を見てきました。

後半、モールも試合運びもリードしたサントリーが守りきって三洋に勝ちましたね。スコア的にはロースコアで、観ている側はじれったい感じになってしまう展開でしたけど、あとからいろんな記事を読むと、それこそ、清宮監督のゲームプランの通りだったようです。

サントリーも、ウィングの小野沢選手やフルバック有賀選手がいるのに、バックス展開で勝負しないで、あえて近場のフォワード戦や、モールにこだわったそうです。モールは明らかにサントリーの方が上手でしたし、さらにいうと、あのトニーブラウンと一発必殺のバックス陣をほこる三洋が決定的なチャンスをほとんど作れなかったところに、サントリー側の意思統一の徹底したディフェンスのすごさを感じます。(おかげで観ている側は、ずっとため息の連続でしたけど)

清宮監督はやっぱり「負けず嫌い」・「勝ちにこだわる」・「メディアの使い方を意識する」・「策士」なんだと思います。早稲田の監督に就任した当初のような、挑発的な発言は「自信家」というよりも、メディアを使って大学ラグビー全体を盛り上げようという意図があったようにも思います(今振り返ってみるとですが)。去年東芝に負けた時の悔しそうな会見はとても印象的です。相当な負けず嫌いなはずですから半分涙目でしたけど、「次は、必ず劇的なストーリーを見せます」的な(正確な語句は憶えていないですが)言葉を使っていたように思います。

早稲田ファンとしての贔屓目の見方もあるでしょうが、彼は、日本を代表する監督だと思いますし、世の中一般の人たちのラグビーへの関心を集めることのできる(集めようとしている)監督なんだと思います。JKとの会談でも、「日本のラグビーはがんばっても秩父宮をいっぱいにするくらいの人気でしかない、世間の関心を集めるためにも、奇跡でも偶然でもなんでもいいから日本代表が強豪国に勝つことが求められているんだ」とJKに食って掛かってました。彼のこだわりとポリシーをかいま見た気がします。

(「策士」な面については、僕はラグビーの専門家ではないので語れませんが、2年前、早稲田がトヨタに勝ったのも、当時は関東学院に体格で明らかに劣っていたのに学生日本一になったのも、対抗戦無敗なことをみても明らかだとは思います)

サントリーはTL制覇本当におめでとうございます。三洋も東芝もトヨタも、決してサントリーにチーム力的に劣っているわけはないので(みていて本当にTL4強は互角なんだなと思いました)、4チームとも劇的な熱戦を期待しています。そして、なにより早稲田権丈組、五郎とハタケ、そして三井、権丈組の強さと、格上チームとあたる時こその早稲田の強さを、トップリーグにぶつけてください。

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三洋の野武士軍団。

はっぱねん的ラグビーシーズン終盤。2月17日秩父宮ラグビー場へ行ってきました。本当はのんびりタマリバクラブと六甲シーホークスの試合を観に行こうとしていただけなんですが、ついでに(?)見た三洋と東芝のマイクロソフトカップ準決勝が素晴らしい試合で、興奮いまださめやらないです。

東芝も三洋も意識の高い統率のとれたディフェンスを繰り広げるし、前半東芝のFWに押されていた三洋FWも後半は押し返すし、お互い正攻法だけでは厳しいと感じるとディフェンスの裏をかくキックやドロップゴールを狙ったりするし、本当に見ごたえのある試合でした。どちらかの監督のコメントでは、攻撃は一瞬の判断力、守備は規律、だそうですがその通りでした。初めてなまでみたトップリーグ上位同士の戦いは壮絶で綺麗でした。

後半、インターセプトから東芝がダメ押しのトライをとったと思った後半も後半、そこからわずか10分程度でひっくり返してしまった三洋電機。

つくづく考えたですよ。三洋電機ワイルドナイツの強さってなんだ?

「誰かの数メートルの渾身のゲイン」→「一つのチャンス」→「苦しい体勢でもつなぐ」→「つないでもらったら絶対に決める」っていうバックスの攻撃のエッセンスを後半残り数分で2回やったですよ、ワイルドナイツ達は。決して内容的に東芝が負けていたとは思いませんが、後半最後の最後に、2回もこれを決められたら勝てない。そんな感じでした。もう観ている側も、ラグビーの本質を見せ付けられた感じでノックダウンです。トニーブラウンの最後のトライは、自信と信頼が生んだトライなんでしょうね。タッチを割ったら終わってしまうシチュエーションでわずか幅1メートルしかないブラインドサイドに突っ込むことなんて自信と信頼がなければできないでしょう。

これが、自分が応援しているチームで優勝のかかったような試合だったら、もう涙が止まらないでしょうね。逆に負けてしまった側は次の勝負まで、ずっと自らの応援するチームが勝つ姿を思い浮かべてすごすことになるでしょう。言われずとも、東芝フィフティーンとファンは日本選手権に全力で臨むでしょうが、さらに熱い試合を期待します。

こんな実力と集中力をもったトップリーグのチームとやることになるかも知れないのだから(なるはずなのだから)、慶応も早稲田も最高のモチベーションと集中力で臨んでほしいです。

3年前トヨタ自動車に早稲田が負けた試合、2年前トヨタに勝った試合、どちらも早稲田は素晴らしい集中力で挑んでいたことを思い出します。権丈キャプテン五郎丸・畠山の真価をぜひ発揮してもらいたい。そう思うようになりました。

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大人って。

報道ステーションでの「大人」についての特集(?)で。

仕事から戻ってきて、家ついて半分音楽聴きながら、ちらっとみたのですが、小学生と思しき少年の「大人とは?」という問いに対する答えにはっとさせられました

「大人とは?」

「子供を守ってくれる人」

この少年のこの答えを聞くまで、ちゃんと自立して自分のことは自分で判断して行動できて、社会的に意義のある仕事をして働いていれば、立派な大人だと漠然と思っていました。

間違いですね。もしくは、足りていないですね。

『子供を守る』というかの少年の表現に限らなくても、自分の生きてきた社会のことを心配したり、幼い子供やもっとあとに生まれてくる人たちのためにも、何か考えてあげて、役立つようなことをしてあげられないと、立派な大人じゃないと思いました。

20代も残りわずかで、この12歳くらいの名前も知らない少年に完敗・脱帽です。

この報道ステーションの特集は、おそらく、18から成人と扱うべきかどうか、民事では?刑事では?みたいな特集だったんだと思いますが、ちゃんと見ていなかったため本題については特にコメントはないです。

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読書感想文的散文

厳寒の候、さむいです。暦の上ではもう春なのにっずっと厳寒の候といい続けそうな冬ですね。

この週末、ひさびさにカートレース(レンタル)を行う予定なのですが、「寒いけどカラッと晴天」という関東地方の冬の天気を期待していた僕の思惑とは異なり、どうもまた雪が降る気配が濃厚らしいです。当日までわかりませんが、ここまで寒くて雪ばかりだとそれはそれで異常気象のように思います。

以下、とりとめもないですが。

十数年前、中学生の頃に読み漁った司馬遼太郎の本を最近読んでいます。中学生当時は、文庫本で販売されている司馬さんの本の9割以上は読破していて、当時は当時で色々わかったつもりでいたのですが、今読み返すと、読んではいたけどわからなかったこと、みえなかったことが、当時よりももっとわかって、より楽しく読めるように思います。内容というよりも、彼の性格がより理解できたように感じています。ちょっと考えをまとめないとうまく表現できませんが。。

ただ随筆でも小説でも、これを見ると「あ、司馬さんの本だ」と思うよく使われる表現が二つあって。

①「xxxxxxだ」とはかれはいわない。

何か、相手に色々な意見を言われたあとに、あたかも主人公がいいそうなことを「xxxxx」と書き、「あ、主人公、ここでこう言っちゃうんだ」と読者に思わせた上で、「「とは彼は言わない」と覆す表現がものすごく多いですよね。しかも大体主人公が、一般人とは違う思考をめぐらす天才肌の人で、口下手でなかなかうまく人と付き合えないタイプが多いんです。

②「その当時の日本人には、xxという概念はxxというように捉えられていたようである。(中略)当時というのはxx年間の日本のことである」

というような、最初「いつのなんのことを書いているんだろう?」とずっとずっと考えさせた上で、1ページ後くらいに、「いついつのことを書いているんだ」と説明する書き方が多いですよね。

司馬さんの本の、こんな枝葉末節の書き方を伝えたいわけではないですが、彼の執着したものが僕も同じように気になるんだなぁとおこがましくも思ったりするのです。少なくとも人格形成にとても影響を受けたんだなと、今読み返して思います。たとえば、インドヨーロッパ語族ばかりのヨーロッパで、国家を形成することのなかった、ウラル・アルタイ語族と同じ構造をもつ言語を話すバスク人だったり、イギリスの片隅に追いやられている(という言い方はとても失礼だと思いますが)ケルト人にものすごく執着をもったり、戦中に大学に入る時に、遊牧民にあこがれて外大の蒙古学科に入学してしまうようなところだったり、兵役中の上官の愚かしい命令をずっと覚えていたり、とか。

大岡信との対談が記載されている文庫本があるのですが、その対談の前の大岡信の回顧談の言葉を借りると、「著書を送ると、司馬さんから例外なく礼状が届いた。その礼状が独特で、必ず著書のどの箇所かを挙げ、簡単な読後感を2、3行書いて謝意を表し、突然ぷつんと切れて、2、3センチの余白を残したまま終わっていた」そうです。大岡信は司馬さんの「言うことを言ったら、サッと切り上げる」姿勢に共感を感じた、、というようなことを書いていました。自分の興味のあることはとことん追求して、言いたいことをいったら「あとはもうお好きにどうぞ」。この対談に書かれていた(室町時代以降に現れた)日本人に見られるニヒリズムそのものなんじゃないかな、とも思います。

本当にとりとめもないですが、今年は現実世界でもかんばるとともに「中学生時分に、なりたいと憧れつつももなれなかった第二の自分(考古学者だったり恐竜発掘の科学者だったり、歴史家だったり、小説家だったり、新聞記者だったり)に近づく」ための読書・妄想・勉強に力を入れたいと、なんとも適応機制的な目標を立てていたりします。

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