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2011年11月

処世。

若干ネガティブな言葉ですかね、処世。

最近、自宅の敷地内に何者かが、土を置いていくという謎のいたずらを受けて、なんか色々考えさせられています。

この世界は、決して善人ばかりではないし、僕のもっている善悪の区別もひょっとしたら人によって全然違って、話は通じないかもしれない、それ以前にそんなことをする人は、どんな理屈かは全く想像つかないけど、その行為を自己正当化しているに違いないと思うのです。

警察に通報する、近所の人に注意喚起を促す、防犯対策を施す、もし捕まえたら説教する、説教して反省させて改心させる、そして改心したら何もかも忘れて水に流す、というのが僕の想像できる最大の「正しい生き方」です。

でも、「正しい生き方」って実践できますか?いや、正しくいうと「正しい生き方」って自分にとって本当にハッピーな生き方になるのかなという疑問が。

僕が自分で考えたベストな対処方法のは、相手に100%非があったとしても、わかりやすく柵や防犯カメラをつけて「もう二度と来てくれるな。来なければもういい」という考えでした。説教も復讐も要らない。なぜか、言ってやりたいことは山ほどあるけど、そいつは僕には想像できない「異常者」なので、どんな逆恨みをされるかわからないから不安なのです。「異常者」に刺されたら、正しいことを切々と説いても僕の人生は終わりなのです。また刺されなくても、こんな犯罪で懲役の実刑を受けることはありえないので、捕まえても近所にそいつは居続けるのです。捕まえるより、来てくれなければその方が幸せな気がするのです。理屈で考えたら、そんなやつに譲歩しなければならない要素は微塵もなくても、これが現実的な考えと思うのです。

マナーの悪い人に注意したら刺されるとか、普通ではないことが起こる世の中だから、余計ですよね。ひき逃げされた女の子を放置する中国が話題になりましたが、あそこまでいったらひどいと思うけど、案外日本も同じような状況になりつつあるのかもしれません。かの中国も、「困っている人がいたら助けなさい」と学校の道徳の授業では教わるそうです。でも、現実にそんなことをしていたらどこから訴えられるかわからない、、から手を差し伸べなくていい、と親たちが教えるそうです。本質的には、「若者に注意できない日本社会」と何も変わらないわけで、ため息がでるです。

いつか親になったときに自分の子に、「正しい生き方」と「うまく生きる」の区別をどうやって教えてあげればいいのか。。

自分の対処方もこれが一番だといいながら、何かとても引っかかっている。。

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