日記・コラム・つぶやき

独白。

仕事の話は触れないと決めていたつもりなのですが。今日ばかりは一人、独白させてください。

ITベンダー29歳営業のリアルな正直な思いを吐露したいと思いまして。

21世紀になるならないの時代、時まさにITバブルがはじける直前に就職活動をして、日本経済的には類をみない非常に厳しい時代でしたが、それでもやりたい仕事を与えてもらえる会社に入社できたと考えています。

世の中には社会生活の基盤となるサービスを提供している人たちがいます。資本主義の日本ですから、そんな彼らも、儲けること抜きではなにもできません。なので、会社の利益になることが大前提なのですが、それでも彼らはリアルに、社会インフラを担っていることにやりがいを感じて、新しいサービスができないか、それをもって日本の社会をよりよくできないか、まじめに検討して、実現することに情熱を傾けています。

いまやあって当たり前のインターネットだって、ケータイだって、安価なADSLだって。スイカだって、ETCだって、ケータイでのナビだったり、ナビの渋滞情報だったり、地震の速報だったり。少なくとも20年前ではいずれも考えられなかったものですよね。これらを作りだした人間が日本の企業のどこかにいるわけです。

僕はメーカーという立場からそういった人たちとともに何かを実現する仕事がしたいと思っていました。これはおれが手がけたものなんだよと、息子に自慢できるものを作るのが夢でした。ただ、ばりばり文系の営業なので、自分で何かが設計できるわけでも、SIできるわけでも、画期的な技術を考えられるわけでも、部品が調達できるわけでもありません。でもお客さんがまじめにどんなことを実現しようと考えているかを把握して共感して、それに対して自分たちができることを提案できることはできます。そのための人間関係だって十分つくれているつもりでいます。

しかし、残念なことに私の会社は経営不振極まりない状況です。そのため自分のキャリアについて、惑うことが本当に多い環境となっていました。正直このままでいいのかと悩む日々です。悲しいですが、この会社に、一年先はもう私はいないかもしれません。

でも自分がこの先、どんな会社のどんな営業になっても、なんかこの言葉だけは忘れずにいた方がいいなと思った言葉があります。会社をやめてしまうかもしれない同期がいっていた言葉なんですが。

「営業は案件のプロデューサー」なんだと。

確かにな。自分自身ではは脚本を書くことも、大道具・小道具を作ることも、撮影することも、メイクアップすることも、というよりも一人では何もできません。でもスタッフ(社内だったら関係部署)を全部とりまとめて、自分の作品として、責任もって世の中に出す責務を負っています。ヒットしたらそれは協力してくれたみんなに感謝です。でも、ヒットなかったら、スタッフさえも路頭に迷わすことになるかもしれない、いわば処女航海にでる船長のような仕事なのかもしれません。

いずれも、言いすぎかもしれませんし偏った見方かもしれません。日常追われる業務のなかですっかり忘れていたのですが、今日は久々に通信インフラを支えるベンダーの営業としてのやりがいを再認識したので、思いなすままに、つづりました。

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物価高ジャパン。

物価高ジャパンの影響がはっきりと。

1.2%というのが、この1年間の物価上昇率だそうです。価格が抑えられている薄型TVやPCなどハのイテク製品が入っていてこの上昇率なので、ガソリンや灯油などの石油製品や、身近な食品などだけでみると物価の上昇はもっと高いでしょう。

そんな状況で、東証上場企業は2008年3月期も、過去最高の利益を更新しました。ただ従業員の給与での還元はしょぼしょぼで(たしか電機連合の企業でベアが1200円前後がおおかったと記憶しています)、日本人の給料は実質目減りしています。

日銀はいまだに金利を上昇することができず、横並び大好きな都市銀行の定期預金はみんななかよく、年0.3%(物価上昇率の1/4)。

大半の人は、ほとんど収入が増えず、お金もっていて預金しても資産は増えず、物価はどんどんあがり、これではみんな貧乏になります。

そんな中、ブリヂストンがタイヤの値上げを決定して、トヨタが自動車の販売価格を引き上げるというニュースが今週ありました。クルマ好きには本当に厳しい日本国内の状況となったわけです。

梅雨のせいと、ガソリン高のせいとのダブルパンチで、ぜんぜんDC5二郎にものってあげられていません。ちょっとクルマで、オートバックスにタイヤをみにいくことも控えているような日々です。

えらい政治家のみなさん、税金から給料もらって働いているのならなんとかしてもらえないものでしょうか。このままじゃ、10年後には取り返しのつかないことになっているような気がしますよ。

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ニュース。

今日の昼間ケータイでみたニュース。

・宮崎勤死刑囚、死刑執行

この重いニュース。

死刑は非常に残酷な刑罰だと思います。人の命が淡々と行政的に奪われる冷酷な瞬間を想像してしまいます。でも私は死刑反対論者ではありません。死刑について、反対派と肯定派とが主張しているポイントを以下に簡単に例示しますが(もっとたくさんあります。)いっていることは大して変わらず、自分の価値観に理由をつけて主張しているだけの実態です。多数決で決めてしまう以外では絶対に結論をみることのできないテーマだと思います。

(反対派)

・執行したあとに、とりかえしがつかない。事実戦後、判明しただけで数件の冤罪事件がある。

・本当に死刑囚には矯正の余地はないのか。懲役はじめ刑罰は矯正を目的としているではないか。

・裁判官はその判断で人の生命を奪うことができるのか。無実か否かは本人と神のみぞしる。

・刑務官の精神的負担という側面、執行する場を確保する維持費用。

・なにも生命をたたなくてもいい。無期懲役や、現時点での日本国刑法にはないが終身刑での代替はできないか。

(肯定派)

・冤罪は死刑に限らない。死刑に限り冤罪を議論にあげるのは完全な論点のすり替え。

・懲役・禁固・拘留など刑罰は矯正だけでなく社会からの犯罪者の隔離という性格もある。

・被害者感情。国民感情を客観的にみているか。死刑に反対する人は、自分が被害者側当事者になっても反対主張できるか?

・死刑囚の食費やその他すべて負担するのは国民の税金。

・無期懲役は無期とはいえ、実態は懲役10年で釈放される。仮にもし釈放の可能性の全くない終身刑があれば、それは死刑より冷厳な刑ではないか。

以下は、個人的な意見です。

死刑の判断は慎重にすべきだと思います。でも制度そのものは廃止するべきではないと考えています。人をあやめた人が生き続ける、しかもいずれ釈放されるというのは、被害者にしてみれば絶対に許せることではないと思うからです。もっというと判決の確定まで何年もかかる司法制度や、個人的な主義主張で不必要に裁判をながびかせる弁護団の存在や、死刑確定後に不必要に執行をさせない法務大臣なども許せないと感じるに違いありません。

死刑の犯罪抑止力を疑う声もありますが、現内閣の法務大臣(個人的には大嫌いですが)になってから不必要に間をおかずに死刑が執行されています。今までは、死刑が宣告されてもずっと執行されない、という甘い考え方があったと思うのですが、その甘い考えは、間違いだったことに世間は気付きはじめたと思います。(19歳までなら少年法で守ってもらえると思った輩の考えが間違いで、ついに法律まで改正されてしまったように)

「国会議員でつくる「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長)は17日、法務省を訪れ、死刑制度の見直しを求める鳩山邦夫法相あての申し入れ書を提出」したそうです。人の価値観は否定しませんが、これはやり方を完全に間違っています。

国民が選んだ代表で構成された国会で決められた法律に基づいての死刑です。国会議員ならそんな申し入れをするのではなくて、現行刑法199条を修正するように国会に案を出すのが筋であって、行政の大臣に抗議するのは、ただの世間へのアピールにしか見えないのではないでしょうか。

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ザ・マジックアワー。

マジックアワー、みてきました。とても面白かったです。

直前に、有頂天ホテルをテレビ見たのですが、断然マジックアワーの方が面白いように思いました。

ちょっと惜しかったのが、ストーリーが少々長いところでしょうか。エンディングにかけてのもってゆき方が少々、まどろしかったです。時間も割りと長めで、スパッとは終わらなかったのがちょっともたついた感じに見えました。

もっとも、そんなマイナス要素をおぎなってあまりある愉快さでしたよ。物語は非常に緻密な構成で、冒頭佐藤浩一がホテルに持ち込んできた重そうな荷物にさえあとの展開に意味のあるものだったのです。たぶん、僕が気付かなかった隠れた伏線がきっともっとあったのでしょうけども。

単純にあんなストーリーを思いつくことは凡人にはできません。鬼才、三谷幸喜の傑作だと素直に思いました。

深津絵里のみたこともないような小悪魔風の演技も、佐藤浩一のすごい開き直ったようなこっけいな仕草も、西田敏行の演技の幅も声色の使い方も、とても関心しましたし、このストーリーをより活かしたと思います。

映画は年に一本程度しかみません、しかも去年はTAXI④みました。。どうも映画は喜劇が気になるようです。

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トランペット。

日曜、関東地方では、久しぶりに、5月らしい、からっとさわやかな天気に恵まれました。ホントに街の木や花に見とれるくらいに。

ここ数年、5月らしい天気は減ってしまったような気はしますが。それはさておき。

今日は、近所のプールに泳ぎにいったのですが、帰り道に一人トランペットを練習する音に遭遇。通っているプールはサッカーの競技場と併設されていて、かなり広いところにあるので、トランペッターの姿は確認できなかったのですが、音を聴くだけでかなりのつわものと感じました。

競技場をとりまく環境から、そこが、とても音が響くところだったのは確かなのですが、音がとてもよく通る感じに響いてよかったです。相当な高音も入れて練習していたのですが、高音も細くて苦しい感じにはならずに心地よかったですし。

泳いだあとの、帰り道に遭遇したのですが、家の方に歩かずにこの音の主を探しに音の聞こえる方、家とは反対方向に歩いてしまったのですが、下も上の階ものぞいてみたのですが、結局見つけられませんでした。

すっかり、音楽生活から遠ざかってしまいましたが、やっぱり管楽器はいいですね。ラッパ(トランペットでもフリューゲルホルンでもコルネットでも、トロンボーンでも)はこんな晴れた日に屋外で吹くと気持ちいいんでしょうね。

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インドの力。

本の影響を受けやすいはっぱねん的読書。

インドの力、といっても、F1のフォースインディアのことではありません。

今週発売の東洋経済を読んでいて、タタ・グループが末おそろしいなと思いました。ジャガーを買収したり、欧州の鉄鋼会社を買収したり、グループ(巨大財閥なのですが)を経営するラタン・タタという人の手腕もすごいなぁと関心したんですが、クルマ好きの僕としては、タタ・グループの中核の一社、タタ・モーターズの発表した「ナノ」という次世代カーの戦略にびつくりしました。世界首位にたった巨人トヨタも、北米・欧州で確固たる地位を築いたホンダも、インドで快走するスズキも、足元をすくわれるのではないかと思いました。

こんなクルマは日本メーカーにはつくれない。初代タイプRよりすごい「ナノ」の割り切り。

・まず価格は前代未聞の1台28万円程度です(もっともディーラーへの卸値ですが)。

・オーディオ・エアコンはありません (ここはタイプRも一緒。暑いインドですけどね)

・パワーウィンドウはありません (ここも昔のタイプRと一緒)

・後ろのドアは開きません。見た目はハッチバック的なのに乗降用の左右のドアのみ。

・ワイパーは1本です。(確かに1本でも我慢できる。。)

・エアバッグ、ABSはありません。「えっ?」てなりますが、70km/h程度しか出せないお国の道路事情だそうです。また4輪を買いたいけども、2輪を使っている層がターゲットなので、比較の問題では十分安全性は向上しているともいえます。

・パワステもありません。でもコンパクトなRRだからフロントは軽く、必要ないようです。そう考えると絶妙な設計ですよね。同じRRでもポルシェみたいに高速なクルマじゃないから、スピンを気にする必要もない。

・ボディの塗装も3層ではなく、2層のようです。でも、日本とはちがってボディが傷ついても平気なお国事情なら確かに3層は不要かもしれません。

・ドアミラーは1個です。(インドの法律上、二つは必要ないそうです。輸出するならその時につければいい。)

・そんななのに、欧州の排ガス規制にも対応可能だそうです。

なんでも、インドでは「新中間層」と呼ばれる年収が9万~20万ルピーの人々が増えているそうです。その新中間層がぎりぎり手の出る商品がとにかくバカ売れらしく、5000円までか価格破壊がすすんだケータイは、月500万以上の新規加入の伸びだそうです。うろ憶えですが、ソフトバンクが日本の1億台のケータイで、シェア15%前後なので、ユーザ数は15百万程度ですよね。月500万の新規加入って恐ろしいほどの爆発力だと思います。そこを狙った戦略的新車ナノは、今まで一番安かった4輪よりはるかに安く、2輪より少し高めの価格だそうです。これは売れる、世界の伝説になる気配がします。

どちらかというと、日本のメーカーは部品でも完成品でも、高付加価値に特化して、低価格路線は敬遠しているように思うのですが、この先21世紀、その路線に未来はあるのでしょうかね?少なくとも日本という国はすでに人口減社会に陥っているし、爆発的に人口が増えているのは、日本や欧州では決してないはずなのですが。

カローラ、シビック、アコードの伝説ももう過去のものとなってしまうのでしょうか。

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ヒロシマ・ノート

名著だと思いました。大江健三郎氏の大作だと思います。

まだ全部読んではいませんが、読むことをとめられないくらいに引き込まれます。彼が衝撃を受けたこと、感銘を受けたこと、怒りを覚えたこと、自信の無力さに打ちひしがれたこと、声を大にして言いたいこと、すべてがそのまま読者の全身に響きます。

端的にいいます。被爆して今なお苦しんでいる人たちのことを、僕は今までちゃんと考えたことがあったか。そう反省させられます。

多くの人命を奪い、傷つけた、この兵器の威力に恐怖したことがあっても、そんなことを二度としてはいけないと考えたことがあっても、被爆し戦後生きた人たちの思いを想像していたでしょうか?毎年、8月6日に多くの人が広島に訪れると思いますが、なかには8月6日だけやってきて、核兵器廃絶を声高に叫ぶだけで、二度とあってはいけない、不幸だとか悲劇といった言葉だけでは絶対に表現できない昭和二十年の広島のできごとを、政治的な道具にしか使っていないような輩もいるのではないでしょうか。

プロローグで引用されている、広島の同人誌「歯車」に掲載された深田獅子雄という人の文章だけでも、自分の理解の至らなさを痛感させられました。

「(前略) しかし、わたくしは、爆心地より一キロ半にありながら、いささかの後症状はあったが、現在、まず健康であり、父母も、おなじく被爆した当時の女学校二年生の妻、また昭和三十年代に生まれた三人の子供も、すべて健康であるところから、できるだけ、後遺症の発現のないことで楽天的であろうとした。そのためであろうか、原爆の文学とよばれるものが、ほとんど、恢復不能な悲惨なひとたちの物語であり、後遺症の症状、心理の描写であるより他に、ありようがないのかを以前から訝しがっていた。たとえば、被爆して、ひととおりの悲惨な目にあった家族が、健康を恢復し、人間として再生できたという物語はないものだろうか。被爆者はすべて原爆の後遺症で、悲劇的な死をとげねばならぬものだろうか。

(中略) わたくしたちが死ねば、すべて原爆後遺症の招来した悲惨な死であり、それは原爆への呪いをこめた、原爆反対に役立つ資料としての死であるとしか考えられないのだろうか。

(中略) 被爆者の死は、ちょうど、八月六日の広島市がやたらと政治的な発言にみちみちて、しずかな喪であるべきその日が余所者の支配となりかねないように、他所の政治的発言のための資料のためにだけあるようには考えないでほしいと思う。 (後略)」

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中華街。

週末、中華街にいってきました。電車で10分ちょいのところですから、もう少し頻繁にいってもいいんですけど。

1年ぶりくらいにいってみたら、今まではあまり気にならなったんですけど、「xxx円食べ放題」という看板やチラシや呼び込みがすごい増えていました。2000円から3000円くらい。今までは、割と、どんな店かわからないけど一か八かで入ってみておいしくて安かったらラッキーみたいなところが大きかったような気がするんですけど、変わりましたね。China

実は、結構前に家族でいった割と高級なお店で、昨日は3000円弱で食べ放題で食べられてとてもお得に感じました。。北京ダックも2回オーダーしましたし。。食べ放題みたいな小さな試みでも、激戦区で小さいエリアだから、どこかが何か新しいことをして成功したら、一瞬で伝播するんでしょうね。

ところで、中華街に出かける前に、最近のチベット問題が気になって、いろいろと調べてみたら、いかに自分が何もしらないか、情けなくなりました。チベットは1950年に中国に侵略されて支配下に置かれたんたんですね。当時ダライラマ14世が16歳だったようです。(ていうか10年ほど前にブラピの映画も見ていたのに理解していなかったです。。)

その後の中国が宗教などを徹底的に弾圧する恐ろしい「革命」を行ったことは周知の通りです。そもそも古代から中国は王朝が変わるたびにいろんな文化や書物を抹殺しすぎだと思いますけど。

News weekとか雑誌を読むと今までどういうことがあったかとか特集で教えてくれるから、今の問題の根本について考えさせられるんですけど、日本でテレビのニュースだけ見てると歴史的な経緯も何も説明してもらえません(わざと言及しないのか??)。ニュースしか見ない人は「なんか暴動があるんだな、怖いな」というくらいな感想しかもてないですよね。これは由々しきことだと僕は思うのですが。。

全くついでですけど、文化大革命の文字をあしらった土産ものが中華街にいくつかありました。もはや笑えるような歴史の話なのか?いや笑えない歴史的惨劇だと思うのですが、いやはや恐ろしくたくましき商魂だと思いました。

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さくら。

土曜日。東京では、今日いかなければいつ花見にいくのだ?という天気と満開に恵まれました。早稲田、目白、雑司が谷近辺を歩き回って、都電荒川線にのったりしていたのですが、神田川沿いの桜はあまりに見事で、都電荒川線を面影橋で途中下車してしまいました。

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桜だけですよね、咲く前から日本中が浮き足立って、ニュースでも開花情報を伝え、ひとたび満開を迎えると満開という理由で外でお酒をのんだりするのは。考えてみたらかなり別格の扱い。

平安期から、花=桜となったそうですが、先人達の歌によるというよりかは、卒業、入学シーズンに咲く花だから日本人共通の「思い出の花」になっているのでしょうね。

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しんめ。

政治的な主張はありませんが、道路作りも悪くないなと思いました。

先週末、身内の結婚式があり、横浜から滋賀の実家へ帰ったです。新名神を使って。

新名神の快適なこと、快適なこと、素晴らしい。実家までの道が、距離にして30キロくらい短縮できて、時間にして40分程度短縮できました。でも、その数値に表れないところでもこの道はよかったです。道路の広さや滑らかさ、トンネルの照明から車線の幅まで、余裕の21世紀設計で、とても楽に走れる道路だったのです。

たとえば、追い越し車線の右側に1車線くらいのスペースがあって、万が一、目の前で事故が発生しても回避できそうな安心感があります。トンネルでもスペース的な圧迫感や暗くなることでの不安感がないのです。圧迫感・不安感がない→ドライバーが無意識に減速しない→渋滞防止・燃費向上です。素晴らしい。

そんな絶賛されるべき新名神のマスコットが「しんめちゃん」らしいです。ハイウェイオアシス刈谷で、キャンペーンをしていたのでつい写真をとりました。キャンペーンで、さいころの目がそろうと景品がもらえるイベントをやっていたのですが、さいころの目が「大阪・名古屋30分短縮」とか「燃費向上」とか「雪にも強い」とか、かわいくないものだったのが印象的です。Shinme

ちなみにSAつながりの余談ですが、滋賀の土山のSAで、ひこにゃんグッズがたくさん販売されています。あと刈谷のハイウェイオアシスには「デラックストイレ」なるものや観覧車があります。このとっても景気のよさそうな愛知県は、さびれたPAに馴れてしまった僕には異国に映りました。

あ、道路特定財源の問題で、ひとつだけ!与党も野党も税金で給料もらっているなら、せめて仕事しろ!って感じですよね。結局どうなるのですか??最近、民主党の存在意義と福田内閣の意義に疑問を感じませんか?

DeluxKanrann

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春ドライブ。

週末、梅の花をみてきました。湯河原の梅林です。

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まだ七分咲きでしたけど、春の香りを満喫できました。もう2週間もすると関東地方でも桜が咲き始める頃ですね。

湯河原から熱海へ抜け、帰りは二郎の大好物の伊豆スカイライン~ターンパイク経由で帰ってきました。有料道路で距離も長くなるのですが、海沿いで信号でとまったり、渋滞したりを繰り返すより、ずっと快適で美しいドライブが楽しめると、僕は思っています。でもいつもガラすきです。

春のぼんやりした空気では、すっきりと富士山がみえるわけないのですが、それでも美しい日本の風景がみられます。駿河湾、富士山、箱根の山並み、3月でも残る雪、パラグライダーを楽しむ人たち、箱根の湖。この道を通るといつも日本もすてたものじゃないなと思います。

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と、いいながら、帰ってきて東京で、週明けから花粉症にひどくやられています。心のそこから春を満喫できていません。。

今年から花粉症を発症した長い付き合いのSEが一言、「これは、集団訴訟しかないです」。確かに。それはそれは、日本を相手どった、超大型原告団を構成することになるでしょう。最高裁判所の裁判官もきっと何割かは花粉症ですし。

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テレビってメディア。

インターネットの掲示板への書き込みが時に炎上するのは、根拠もあいまいな一方的な攻撃的な発言をしても、実社会での自分が攻撃されることがないから、言いっぱなしで逃げられるからでしょう。

純粋に情報発信したい人の貴重な生の声がたくさんのっている反面、どうしようもない無責任発言もたくさんあるのがインターネットという媒体です。たとえば、クルマのパーツのインプレッションだったり、サーキット走行の感想だったり、山登りの行程の記録だったりは、僕はインターネットの個人のHPやブログで調べます。これは雑誌書籍では聞けないホントに聞きたい内容が含まれていると思うからです。一方で人をだまそうという人や、ただ金儲けをしようとしている人もネット上にはうじゃうじゃいますね。

この玉石混交のネットの情報の世界で、「信ずに足る・能わず」を判断する基準をどこにおきますか。生であって人となりを判断することができないので、文章から感じられるその人の『責任感』で量るしかないと僕は思います。責任感を感じられない人の言葉はどんなにたくみであっても信じられないでしょう?たとえば「それってどういう根拠でそういってるの?」、「不必要な誇張じゃない?」、「論理、飛躍しすぎじゃない?」とか、「感情的すぎない?」とか、「他者への理解がない人だなぁ」と、感じてしまうと、ああ、この人の言葉は、読むに値しないなと考えてしまいます。

翻って日本のテレビのニュース。

いみじくも、報道ステーションで、都の設立した銀行の業績が芳しくなく、都が追加の資本投入(税金)をすることについて報じていたニュースで、民主党もこの都の銀行設立に賛同していたことに触れ、「メディアの責任として追跡して報じていきます」と宣言をしていました。

それはそれで歓迎しますが、輸入ギョーザの農薬の件ってどうなりましたか?もう世間の耳目を集めるに足りない事件だから放置ですか?

前述のメディアとして信じるに足るか足らないか、、という観点で見ると日本のニュース番組って信じるに足りない、といわれても致し方ないと思うのです。1週間同じことを散々わめき散らして、わめっきぱなしですか?天災も、悲惨な事故も、おぞましい冷酷な犯罪も、1ヶ月したらもう続報なしですか?この人たちの社会的な責務ってなんなんでしょうね。(と、日本に帰国した直後の15歳の僕が感じていたことと同じことを最近よく感じます。)

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大人って。

報道ステーションでの「大人」についての特集(?)で。

仕事から戻ってきて、家ついて半分音楽聴きながら、ちらっとみたのですが、小学生と思しき少年の「大人とは?」という問いに対する答えにはっとさせられました

「大人とは?」

「子供を守ってくれる人」

この少年のこの答えを聞くまで、ちゃんと自立して自分のことは自分で判断して行動できて、社会的に意義のある仕事をして働いていれば、立派な大人だと漠然と思っていました。

間違いですね。もしくは、足りていないですね。

『子供を守る』というかの少年の表現に限らなくても、自分の生きてきた社会のことを心配したり、幼い子供やもっとあとに生まれてくる人たちのためにも、何か考えてあげて、役立つようなことをしてあげられないと、立派な大人じゃないと思いました。

20代も残りわずかで、この12歳くらいの名前も知らない少年に完敗・脱帽です。

この報道ステーションの特集は、おそらく、18から成人と扱うべきかどうか、民事では?刑事では?みたいな特集だったんだと思いますが、ちゃんと見ていなかったため本題については特にコメントはないです。

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読書感想文的散文

厳寒の候、さむいです。暦の上ではもう春なのにっずっと厳寒の候といい続けそうな冬ですね。

この週末、ひさびさにカートレース(レンタル)を行う予定なのですが、「寒いけどカラッと晴天」という関東地方の冬の天気を期待していた僕の思惑とは異なり、どうもまた雪が降る気配が濃厚らしいです。当日までわかりませんが、ここまで寒くて雪ばかりだとそれはそれで異常気象のように思います。

以下、とりとめもないですが。

十数年前、中学生の頃に読み漁った司馬遼太郎の本を最近読んでいます。中学生当時は、文庫本で販売されている司馬さんの本の9割以上は読破していて、当時は当時で色々わかったつもりでいたのですが、今読み返すと、読んではいたけどわからなかったこと、みえなかったことが、当時よりももっとわかって、より楽しく読めるように思います。内容というよりも、彼の性格がより理解できたように感じています。ちょっと考えをまとめないとうまく表現できませんが。。

ただ随筆でも小説でも、これを見ると「あ、司馬さんの本だ」と思うよく使われる表現が二つあって。

①「xxxxxxだ」とはかれはいわない。

何か、相手に色々な意見を言われたあとに、あたかも主人公がいいそうなことを「xxxxx」と書き、「あ、主人公、ここでこう言っちゃうんだ」と読者に思わせた上で、「「とは彼は言わない」と覆す表現がものすごく多いですよね。しかも大体主人公が、一般人とは違う思考をめぐらす天才肌の人で、口下手でなかなかうまく人と付き合えないタイプが多いんです。

②「その当時の日本人には、xxという概念はxxというように捉えられていたようである。(中略)当時というのはxx年間の日本のことである」

というような、最初「いつのなんのことを書いているんだろう?」とずっとずっと考えさせた上で、1ページ後くらいに、「いついつのことを書いているんだ」と説明する書き方が多いですよね。

司馬さんの本の、こんな枝葉末節の書き方を伝えたいわけではないですが、彼の執着したものが僕も同じように気になるんだなぁとおこがましくも思ったりするのです。少なくとも人格形成にとても影響を受けたんだなと、今読み返して思います。たとえば、インドヨーロッパ語族ばかりのヨーロッパで、国家を形成することのなかった、ウラル・アルタイ語族と同じ構造をもつ言語を話すバスク人だったり、イギリスの片隅に追いやられている(という言い方はとても失礼だと思いますが)ケルト人にものすごく執着をもったり、戦中に大学に入る時に、遊牧民にあこがれて外大の蒙古学科に入学してしまうようなところだったり、兵役中の上官の愚かしい命令をずっと覚えていたり、とか。

大岡信との対談が記載されている文庫本があるのですが、その対談の前の大岡信の回顧談の言葉を借りると、「著書を送ると、司馬さんから例外なく礼状が届いた。その礼状が独特で、必ず著書のどの箇所かを挙げ、簡単な読後感を2、3行書いて謝意を表し、突然ぷつんと切れて、2、3センチの余白を残したまま終わっていた」そうです。大岡信は司馬さんの「言うことを言ったら、サッと切り上げる」姿勢に共感を感じた、、というようなことを書いていました。自分の興味のあることはとことん追求して、言いたいことをいったら「あとはもうお好きにどうぞ」。この対談に書かれていた(室町時代以降に現れた)日本人に見られるニヒリズムそのものなんじゃないかな、とも思います。

本当にとりとめもないですが、今年は現実世界でもかんばるとともに「中学生時分に、なりたいと憧れつつももなれなかった第二の自分(考古学者だったり恐竜発掘の科学者だったり、歴史家だったり、小説家だったり、新聞記者だったり)に近づく」ための読書・妄想・勉強に力を入れたいと、なんとも適応機制的な目標を立てていたりします。

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まいホビー

はっぱねん的ほびー生活。

といっても、全然初心者なのですが、こないだ横浜のとある場所で『新春ちきちきラジコン遊び』をしてきました。ラジコンなんて、小学生の時以来なんですが、クルマ好き仲間の中に、一人ラジコン男がいて、そいつに誘われての新春ラジコン大会でした。Photo Photo_2

愛車、しびっくの雄姿にとても興奮したです。実車とは重量バランスや駆動方式が全然違うラジコンとはいえ、やはり、クルマなんですね。地球上のものはどんなものだって物理の法則からは逃れられない。減速、ノーズダイブ、ロール、ロール収束させつつ加速。シビックはとてもかっこよかったです。夢中になりすぎて、右回りのコースだったので左前輪のタイヤの外側が激べりでした。

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津々浦々。

日本は本当に津々浦々においしいものがある国なんだなーとつくづく思う年末年始の連休でした。

年末は、仙台・松島に旅行に行ってきました。MatusimaKaki

松島で焼いた牡蠣やほやなど食べたのですが、一緒に頼んだご飯(白米)のおいしいこと。ササニシキ?お水?炊き方?何が違うのかはわからないのですが、今まで食べたご飯の中でもっとも美味で、とても感動しました。仙台で食べたあわびのきもだったり、牛タンだったり、塩釜で食べた寿司屋の付け合せのワカメだったり、牡蠣の寿司だったり宮城県は細部までおいしいものが多いところでした。

年明けは、伊豆へドライブへ行ってきました。DonYuugata

本当は西伊豆の夕焼けを見に行っただけだったのですが、土肥でなんともなしに入った寿司屋で食べた海鮮丼が絶品でこれまた感動しました。「あかざえび」という海老を初めて食べました。えびの味噌を身につけて一口でいただく。こんな贅沢な食べ方も初めてでしたし。あとで調べるてみるとどうも、「あかざえび」は伊勢海老にも勝る美味の海老で有名だったんですね。太平洋の近海深いところでとれるそうです。

実は、その日、昼も沼津で寿司だったので、土肥で晩御飯を食べるところを探していた時に、寿司屋は一度敬遠して通りすぎていたんです。でも正月のために開いている店がほとんどありませんでした。それで戻ってきて入った寿司屋でこの海老に出会えました。こんな偶然もあるものなんですね。

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冬と天気。

地球(日本)の温暖化が切に心配だった今日この頃。この1週間ぐらいで東京も急激にさむくなってきて少し安心しました。というか冬の始まりが大好きなんです。ピンとした感じが。

去年は11月23日の早慶戦の秩父宮が暖かく、それどころか銀杏も色づいていなくて驚いたのをよく覚えています。さらには数年前(確か2004年頃)の早明戦では12月なのに、夏日だった記憶があります。数年前まで早慶戦の頃はダウンジャケット着て完全に冬のいでたちで、早明戦なんて、凍えながら観るのが当たり前だったのでかなりの変化を感じました。

今年はようやく都内の銀杏も見ごろになっているようで一安心です。

思えば昔(すんでたのは近畿地方ですが)、冬は毎日のように氷が張っていたのに、ここ数年では氷が張ることも稀になっていました。厳冬といわれた2005年で時々見かけて、「ああ、日本の冬ってこうだったな」って感じたのをよく憶えています。

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スイングするもの。

はい、タイトルの通りです。スイングするもの、しないもの。演奏会にいってきました。

Onsen_2久しぶりにいろんな楽器たちの競演(といってもビッグバンドなので、そんなに楽器の種類は多くないですが)を生で聴き、とても感動しました。というか、ホントにかっこいいのです。楽しいのです。

正直、Jazzって敷居が高いと思うのです。しかも詳しい人はめちゃめちゃ詳しいわけで、「xxってトロンボーン奏者のxx年に収録されたxxってレコードのxxって曲がすばらしい」とかいわれても、そのレコード聞いたことのない人にはちんぷんかんぷんなわけです。

でも今回聴きにいった演奏会は、格別に上手い人(技巧的というより聴かせられる人)のソロの曲だったり、元気で超絶技巧なソロが順繰り出てくる曲だったり、みんなが知っている曲のJazzアレンジだったり、MC兼Vocalの頭のでかい人が会場全体を楽しませる曲があったり、音楽ってこうだよなーって思いました。少なくとも僕らみたいにJazzに詳しくないものたちにはとてもよい演奏会だったのです。

別格に上手いやつと、オリジナルの曲、、というのを除くと僕らが若かりし頃に部活のみんなでやった定期演奏会にとても近い!というのは恥ずかしくていえないくらいおこがましいですが、共感したわけです。

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読書感想文(半分)。

なんともなしに読み始めた、「日常生活の冒険」を読み耽っています。

いつか誰かが、「大衆文学はストーリー自体を楽しませるもの、純文学はストーリーを借りて人間の内面を表現するもの」といった内容のことをいっていました。テレビでみたのか、本で読んだのか、何かの講義ででてきたのか。すでに記憶はあいまいですが。

誰がどう分けているのだ?という疑問は残りますが、その時は「そういうものなのかもしれないな」と軽く受け入れていたと覚えています。この怪しげな定義を認めた場合、大江健三郎氏のこの小説は純文学なのでしょうか?

さて、読み進めていて、感想を3点ほど。

一点目。

小説を通して、描き続けられている、この名前の決められていない主人公の精神状態は、他者(おもに斎木犀吉)の内面に対する気付きだったり、不快感だったり、憧憬だったり、自己嫌悪だったり、ヒポコンデリアからの脱却に向けての精神的高揚だったり、は少なくとも私という読み手にはリアリティをもって共感させられるものでした。

二点目。

斎木犀吉や卑弥呼など、主人公を日常生活の冒険にいざなう友人達の行動や発言は冒険したくても踏み出せない主人公を含むすべての人の葛藤(ちくちく刺される感じの葛藤)を惹起するものだと思います。(しかも、知識人ぶる若者特有の自分で決め付けて人の話を受け入れないような断定的な物の言い方は、著者本人の過去の自分への反省を含んでいるようにも見えます)

三点目。

主人公は著者本人と思しき物語の構成なので、犀吉と金泰が「自己欺瞞」について、自分の考えを述べる場面では、著者自身の強い葛藤を感じます。犀吉がいう、主人公の陥っている「自己欺瞞の状態」とは、世間がつくった小説家という自分の像に、自らを当てはめようとして(本来的には意味のないその自分の像を守ろうとして)、結局本当の自分が居心地が悪くなってしまう愚かしい状態」のことなのです。

その他、「個人的な体験」などまさにそうですが、大江健三郎氏は主人公が氏本人と思える内容の小説が多いですね。今回、この小説を読み返して改めてそう思いました。

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音楽生活。

久しぶりに楽器屋という場所にいきました。実は高校時代はクラリネット奏者だったので、店内の雰囲気がとても懐かしかったです。

楽器屋で来週に聴きに行くジャズのライブの前売券をかってきました。来週は、久しぶりにSwingしてきます(?)。 Onsen

まったく関係のない話ですが、テレビであるタレントさんがこんなことをいっていました。

いわく、音楽が一番人間の記憶にのこるものなのではないか、ということです。(人間、最後に残るのは音楽なんじゃないか、という言い方をしていました)数十年ぶりにホームカミングデイか何かで母校に訪れた彼は、建物もグランドもまったく見覚えのないものに変わってしまっていたそうで、「ここで勉強したな」とか「ここを歩いたな」という感慨もなにも沸いてこなかったそうなのです。ですが、最後に体育館でみんなで校歌を歌った瞬間にすべての思い出が一瞬でよみがえったそうなのです。

確かに、久しぶりにきく歌って当時のいろんな思い出がよみがえりすよね。ここのところ、昔の曲のカバーをあつめたアルバムや、同じ時代のヒット曲を集めたオムニバス形式のCDの売れ行きがよいのも、こういったところに理由があるのかもしれませんね。さらに彼のように、何年もの間、歌う機会もなかったであろう校歌であれば、なおのこと一瞬で当時の自分に戻ってしまったことでしょう。

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読書

自宅に転がっていた大江健三郎氏の「日常生活の冒険」をなんともなしに読み始めました。3年か4年前に一度読んだ本です。

斎木犀吉という多分設定上二十歳そこらの青年がいて、彼が言うこと、考えること、為すこと純粋で、全部その通りなんだけれども、人は(主人公含め)みんながみんなそうは振舞えない、みんなわかっているけどそうはできない、そんなもやもやもって生きているんだよ、と言いたくなる、みんながもっている弱いところ/痛いところをこの青年がちくちく刺してくるようなそんな小説です。僕なんかがわからないもっと深い主題があるようにも思いますが。

読んでない人にはさっぱりわからない内容ですね。でも、飛ばし読みをするとさっぱりわけのわからなくなる小説なので、今週できるだけもう一回じっくり読んでみようと思います。

高校の時分は、実家への帰省するときの電車だったり、休みでやることも特にない1日なんかに、小説1冊、CD1枚あればそれだけで充実した時間をすごしていたのに、なんだかせっかちな生活を送っている自分になっているような気がしました。

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はじめてみました

ブログをはじめてみました。

はじめてみたものの、天気もよいので散歩にでもいってまいります。

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